2006年05月26日

俊輔 ついにドイツへ

約1週間のJヴィレッジーでの最終合宿を終えた日本代表は今日 成田のホテルに集合後 お揃いのグレーのスーツに身を包み 昼過ぎ 成田空港入りした。

さむらいブルーの柄入りの日本航空機に乗り込んだジーコJAPAN、過去にエコノミー症候群を発症した事のある高原選手は ファーストクラスへ  監督とその他の選手は ビジネスクラスへと分かれた。

日本航空では機内食も特別に カツどん(勝つ丼)と サッカーボールに見立てた サラダやデザートを用意し 応援。

日本時間27日午前1時頃 フランクフルト到着。 その後キャンプ地のボンへ移動する。   ボンの気温は日本より 多少低く 13〜14度。
風邪などひかないよう 練習後は注意が必要だ。

2002年の屈辱から4年 Jリーグ再開から間もなく より高いレベルを求めてイタリアへ渡った俊輔  プレーだけでなく 生活環境の違い等 悩み多い苦しい3年間を この 今日の日が来る事を信じ 耐え抜いた。

移籍直ぐに合流した合宿で もう既に「これはやばい・・」と感じたという俊輔。  食事は朝から甘い菓子パン、宿舎 ベッドの悪さ・・・そしてチームの練習場の環境も最悪だった。

日本の食材も手に入らない。 日本から米を持ってきた。 最初は普通の米だったが 無洗米に変えた。  米を研ぐのに キッチンから 塩水・・?
イタリアでは ミネラルウォーターを使わないと米がまずくて食べられない。  (ミネラルウォーターは買って来ないとならないので 研ぐのに使っていると一気になくなる・・・)
ということで 無洗米に・・・。

しかもイタリアは古い建物を大事にする為 エレベーター等ついてない建物が殆ど。 あってもエレベーターの狭さは驚く程。  俊輔のアパートにも勿論エレベーターはなかった。  きつい練習後4階まで上らなくてはならなかった。   

試合前の練習でも平気で削りに来るチームメイト、負傷中にも拘らず 酷使する環境・・・ロングボールを多様する戦術とライバルとのポジション争い・・・
それでも俊輔は 監督が選ばないわけにはいかないと思うような選手になろうと必死で努力。  悩みながらもレッジーナを3年連続で残留させ、 更なるレベルアップを目指し 新たな環境スコットランドへ。

ガラリと変わり ビッグチームらしい恵まれた環境の中  レベルの高いチームメイトと共に練習と試合を重ね プレーだけでなく ポジショニングや試合の流れを読む能力 そして 何よりも 大きな大きな自信を身につけ帰国。

既にグラスゴーの自宅は引き払っている俊輔(これは毎年の事だが) W杯後の動向も気になるが  夢のドイツでこれまでの思いを全てぶつけ 絶対に悔いのないW杯にしてほしい。 

2005年〜2006俊輔
 7月22日 セルティック移籍決定
 7月25日 正式発表
 7月29日 グラスゴー空港到着(満員のサポーターで出られず)
 8月 1日 チーム初合流(施設の良さに感激)
 8月 2日 チーム初練習(チームメイトのレベルの高さに驚き)
 
 8月 6日 SPL第2節 ダンディU戦(H)で初デビュー(開始1分で
ヘディングシュートを見せる等活躍し デビュー戦でサポーターからスタンディングオベーション)
 
 8月13日 SPL第3節フォルカーク戦で 初アシスト!(たった2試合目にして左サイドからセンタリングでハートソンのヘディングシュートをお膳立て)
 
 8月20日 SPL第4節初ダービー(トンプソンのレッド退場で初負け)
 
 8月28日 SPL第5節ダンファームリン戦(A)俊輔ファールした相手に怒り露わに。 火がついた俊輔 SPL初ゴ〜ル!!

10月26日 SPL12節マザウェル戦(H)俊輔FKによる初ゴ〜ル!

11月26日 SPL第16節ダンファームリン戦(H)俊輔風邪で初欠場
 
1月 1日 俊輔初 元旦試合。ハーツ戦(A)2点ビハインドから俊輔のFKでひっくり返し逆転勝ち!
 
2月19日 SPL27節ダンファームリン戦(A)1−8チーム最多得点
 
4月 9日 SPL33節キルマーノック戦(A)俊輔 FK とシュートで1試合2得点〜!
     
posted by Hiro at 19:04| Comment(0) | TrackBack(1) | 俊輔情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月18日

突入〜!Jヴィレッジ国内最終合宿!

帰国後 休養に努めていた俊輔、15日待ちに待った 2006ドイツW杯日本代表メンバー発表と共に、急に俊輔の周辺は騒がしくなった。
15日発表と共にshunsuke parkで行われた記者会見。

その後 ジーコ監督をはじめ ヒデ 恒 川口らと共に 天皇陛下のもとでご挨拶をすませ 4年間の苦しかった日々に対するねぎらいのお言葉を頂いた俊輔は 17日代表合宿の準備を整え 夜 Jヴィレッジ入り。

今日18日から本格的なトレーニングに入った俊輔らは まだ朝もやの漂う練習場へ姿を現した。   白地にブルーのライン、かかとには赤 のシューズを履いた俊輔は 他の色々な選手達と談笑。 中澤選手の右目の傷(スコットランド戦での)を見て何やら話すと 中澤選手は肘打ちのジェスチャーで説明。 
練習は全くボールを使わずに 主にフィジカルメニューのオンパレード。 詰め掛けた多くのサポーターの声援を受け、やや恥ずかしそうな選手達。  
骨折の柳も他の選手と全く変わらずフルメニューをこなす。   練習中思わず こけた柳選手を他の選手達がからかう場面も・・・と皆終始リラックスムードで行われた。

体調不良の小笠原 海外の中田浩 高原 大黒 の4人を除く全ての代表選手が 約1時間半 汗を流した。 午後も全くボールは使わず 90分間 走りと歩きを交互に交えたメニューで 体力アップ。
サポーターの声援に 選手それぞれ 性格が出るのか、@全く動じない選手・・・A格好良く手をあげ答える選手・・・B恥ずかしそうにしながらも頭をペコリ ちょっとだけ手をあげ答える選手・・・と様々。
俊輔は・・・勿論3番目に近い・・・笑

ヒデは午前中も一人ピッチに残って入念なストレッチをしていた。 腕立てもあっという間に軽く50回・・・。
俊輔はセルティックの最後の試合で痛めた足を庇う様子も全くなく 問題なさそう。
中澤選手の目の上の怪我も大分腫れが引き、バンドエイド1枚だけの状況。

東京は雨模様だったようだが Jヴィレッジは晴れ。 今日(18日)は休日だったかと思うほど 駐車場は満杯。 マスコミも一段と増え 代表発表と共に ワールドカップも急激に盛り上がってきたようだ。

一つ驚き・・・サポの中には 何と今日 出産予定日 だという女性が。
興奮して産気づかないといいが・・・笑

Jヴィレッジ
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練習後 柳沢選手と2人でストレッチを行う俊輔 

※俊輔合宿レポートはカテゴリー「俊輔合宿関係」にて掲載
http://shun-celtic.seesaa.net/category/3727426-1.html

2006年05月15日

★★★俊輔ドイツワールドカップへ★★★

本日午後2時より 都内のホテルにて 2006ドイツワールドカップの日本代表メンバーが ジーコ監督自らの口から発表されました。
「中村」の名は 18番目に呼ばれました。
自宅で家族と共に発表を見ていた俊輔は 選出の喜びと共に、名前が呼ばれるのがMFで一番最後だった為、ちょっとあせった・・・と 苦笑いも。
2002年のあの屈辱の会見から4年、ついに夢の舞台を 自らの手で 自らの努力により 掴み取りました。
俊輔 本当に  本当に  おめでとう〜exclamation×2exclamation×2手(チョキ)
posted by Hiro at 15:19| Comment(2) | TrackBack(1) | 俊輔情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

静かな夜・・・中村俊輔

2002年 5月17日。 
日韓合同共催W杯 日本代表選手メンバー発表。
この大切な発表当日 なぜか日本を離れていた代表監督は スタッフに全てをまかせ 集まった記者達の前に 最後まで姿を現すことはなかった。

発表を自宅のTVで知った俊輔は スタッフに会見をする事を伝えた。
異例ともいえる落選会見・・・。  いつまでも尾を引くのは嫌、さっぱり気持ちを切り替えたい・・そんな気持ちがあった。

クラブハウスには多くの記者が駆けつけた。  選出された松田選手の喜びの記者会見が 同じクラブハウス内で行われていた。

ブルーのジャージ姿で現れた俊輔は 大勢の記者を前に 淡々と質問に答えた。  悔しさを心の奥底にグッとしまいこみ、「やることはやった。 悔いはない。 この悔しさをバネに もっとこの後にいい形で繋がるように努力したい・・」   

W杯メンバーに選ばれれば 夢のスペインレアルへの移籍が濃厚となっていた俊輔、 2つの夢がこの日 途絶えた。

地元横浜でW杯決勝が行われる願ってもないこの大会 初のベスト16入りで盛り上がるトルシエジャパンの笑顔の片隅 俊輔は日本を離れ韓国へと渡っていた。

そして7月。 イタリアからオファーが届いた。 セリエBからAに昇格したレッジーナ、会長直々日本を訪れ 俊輔の返事を待った。
会長帰国のタイムリミット、寝ずに考えた俊輔は 3日朝 移籍の気持ちが固まった事を伝えた。
普段よりやや遅く練習場に姿を現した俊輔は 芝生にすわり何か考えるように目を瞑り空を仰いでいた。

7月4日俊輔のレッジーナ移籍報道。 
そして7月21日  俊輔Jリーグラストゲーム。 ヴェルディ戦 国立。
俊輔のJ最後の勇姿を目に焼き付けようと6万人が集まった。
自ら最後のゴールを決めると サポーターに手を振り 唇をかみしめながら新たな舞台での活躍を 強く心に誓った。

7月22日 黒いスーツに身を包んだ俊輔 成田出発・・・・・
あれから4年。  苦しみながらも レッジーナを3年連続セリエAに残留させた俊輔は また更なる成長を遂げる為 新しい舞台を求め スコットランドに。

セルティックを優勝させる事を約束させられた俊輔は 移籍から10ヶ月、CIS杯 そしてリーグ優勝の2つのカップをチームにもたらし、今では なくてはならない 大きな大きな存在に成長。  チームの危機を1本のパス、1本のクロス 1本のFKで、救ってきた。 俊輔がいなければセルティックの優勝は難しかっただろう。  

4年前の悔しさがあったからここまで頑張ってこられた・・・悔しさだけをここまで何とか繋いできた・・・という俊輔。 
勿論W杯が全てではないことはわかっている。 が 「選ばれて ただ出場するだけではなく 自分の一番いいパフォーマンスとか 驚くようなプレーをして 日本を勝ちに導くようなプレーがしたい。」と熱い思いは増すばかりだ。

ドイツW杯メンバー発表まであと14時間。 4年前のあの悔しさを 成長という大きな翼に変えた俊輔  あの時とは違った「静かな夜」が今訪れている。
posted by Hiro at 01:26| Comment(2) | TrackBack(1) | 俊輔情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする