2009年08月31日

俊輔スペインデビュー ついに夢のピッチへ

2009年8月30日。 俊輔のスペインでの新しい歴史がついに始まった。
リーガエスパニョーラ プリメーラディビシオン RCDエスパニョール。   
2009−10シーズン 俊輔のデビュー戦となるエスパニョールの開幕の相手は アウェーでのアスレチックビルバオとなった。   昨季は13位だが一足早くヨーロッパカップ等を戦い 既にチームが出来上がっているビルバオに対し エスパニョールは こけら落としリバプール戦で3−0と見事な仕上がりぶりを見せたものの その後突然チームを襲ったキャプテンハルケの悲劇で チームは立ち上がれないほどのショックを受けた。  

ようやく前を向き1歩を踏み出したエスパだが イタリアで予定していた試合が中止された事から 主力選手の実戦はほぼジローナとのたった1戦のみ。    明らかにエスパニョールは相手に比べ実戦不足だった。     
デラペニャが右足の故障で別メニューが続いているだけでなく その後体調を崩す選手も出始め 中々全員が揃っての連携確認が出来ない。。。
しかし監督は それをいい訳にする事はない あくまでも勝ち点3を奪いにいく とスペイン最古のスタジアム サンマメスに乗り込んだ。

リーガ開幕とあって スタジアムは超満員。 強い日差しが当たる中 ついに俊輔のスペインデビューの瞬間が訪れた。
ブルーのホームユニ姿で表れたエスパニョール選手達、スタメン発表には しっかり NAKAMURA の名が記された。  
表示では左サイドとなっていた俊輔だが セルティックで慣れ親しんだ右サイドでのスタート。  
子供のころから夢にまで見てきたこのリーガのピッチについに立った俊輔・・・    練習で真っ黒に日焼けし また一段とたくましく感じられたその姿・・・  感動の瞬間だった。

チームは4−2−3−1で昨季キャプテン タムードのワントップ。  中盤には右から俊輔 アロンソ ガルシア、 そしてモイセスとベルドゥのWボランチ DFには ピジュ ロンカリア パレハ Dガルシアの4人。  
ハルケの位置には パレハが入った。 
11人中 4人が新加入選手というスタメンになったエスパ。
ハルケの穴に加え Dガルシア パレハも体調を崩して復帰したばかり 更に新加入選手の多さ・・・  守備面での連携には確かに不安があった。   
   
ついにキックオフ!
開始早々 エスパニョールは躍動した。 1分だった。 左ガルシアからのセンタリングが相手DFに当たりこぼれたボールに 俊輔は一目散に後ろから走りこんだ。     大きくバウンドしたボールに 飛び込んだ勢いもあって その俊輔のシュートは惜しくもミートせず。
スペイン初の先制ゴールとはならなかった。

更に3分 俊輔は右サイド自陣低い位置でボール受けると 一気に詰めるDF二人を次々を交わし味方とのワンツーでハーフウェーラインまで上がった。  更に詰めたDFを切り返しで交わすと 一気に今度は 前線右に走り出したガルシアに見事なキラーーパス!!! ガルシアのエリア右からセンタリングを ゴール前味方受けるも DFに阻まれシュートへと持って行けなかった。    

惜しい〜!!
しかし俊輔は初っ端から キレのあるプレーで質の高さをアピールした。   そして9分 早くもその左足の最大の武器をお披露目する場面が訪れた。     左Dガルシアからのロングパスを相手がクリア それをアロンソが拾い仕掛けた時だった。    エリア中央アーク付近 アロンソが倒されFKを得た。    ボールを自らセットする俊輔。   しかしその隣にはパレハとガルシアが立っていた。
一言二言交わした後 ようやくパレハがその場から立ち去った。  ボール前にはガルシアと俊輔。      
前には何と8枚以上もの高い壁がずらりと並んだ。       

既に欧州でも俊輔のFKの怖さが知られている証拠だった。
試合2日前 FKの練習で新しいボールの感触の違いに悩んでいた俊輔だったようだが 絶好の位置 ここで決めれば最高のスタートが切れる・・・    思い切り振りぬいたその左足から放たれたボールは 惜しくもゴール前で落ちず バーを超えてしまった。

悔しそうに顔に手をやる俊輔だったが その後も プレーで質の高さを見せ付けた。   33分には惜しくもオフサイドとなってしまったがリバプール戦を思い出すようなタムードへの見事なロングパスを通しチャンスも演出した。    しかしチームは次第に連携ミスが目立つようになり 中々前線へのビルドアップが出来ず。。。 結局前半0−0での折り返しとなってしまった。   

後半も戦況は変わらず 54分には珍しく相手をブロックした際 腕が顔に当たったと珍しくイエローまで食らってしまった。   肘うちしたように書いているところもあるが全くそんな故意のものではなかった。
後半76分タムードに代わりサハルが投入された直後だった。
浮き球に突破されたトケーロにシュートを撃たれビルバオが先制・・・
その後必死にチャンスを作ろうとするも 最後のパスが繋がらない・・・
スペインらしくないロングボールまでが飛び交った。
チームメイトのミスが目立つ中 俊輔は必死で確実なパスを繋ぎチャンスへと結びつけた。   相手のプレスからか 味方からのパスが乱暴になりがちな中 それを技術でキープ そして味方へは受け手を考えたパスを出し落ち着かせた。 

終了間際にも俊輔のパスから何度かチャンスが生まれたが結局最後まで追いつくことは出来ず 俊輔のスペインデビュー戦は 1−0の敗戦で終わっってしまった。

やはり連携不足は拭えなかった。  
しかし試合後 夢にまで見たリーガでのピッチに初めて立った俊輔の口からは 「勝たなきゃいけなかったけど すがすがしいというか・・・やっと立てたっていう気持ち」 という言葉が聞かれた。
決められなかった悔しさ 敗戦の悔しさも勿論あるだろう。  しかしこの試合後のコメントを聞いて プレーしながら喜びや楽しさを感じていた俊輔に 少しホッとした気持ちになったと同時に 改めて大物ぶりも確信・・・。

一方監督は 前半についてはほぼ納得しているものの やはり後半 特に守備面については次の試合までに調整しないといけないと反省のコメントを発した。
次はホームであのレアルと対決だ。   ようやくスペインでの第1歩を踏み出した俊輔、 次もホームとはいえ相手が相手だけに相当厳しい試合になるだろう。   だがこんな強豪と普段から対戦出来る事への喜びと成長を望んでスペインまで来た俊輔だ  全力でぶつかり きっと俊輔らしいプレーを見せてくれるだろう。

一夜明け 俊輔は現地からオランダへと飛んだ。   早速代表に合流し 今度はオランダ戦へと頭を切り替えた。    今頃チームメイトと リーガの話で盛り上がっているであろう俊輔、リーガデビュー戦後 俊輔ノートにはいったいどんな文章が刻まれたのだろうか・・・。 

【追伸】
移籍が噂されていたFWタムードはどうやらエスパニョールに残る事が決まったようだ。  

2009年08月29日

エスパニョール/スペインについて

次項有エスパニョール
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正式名称
=RCD Espanyol
レイアル・クルブ・デポルティウ・エスパニョール・デ・バルセロナ
(Reial Club Deportiu Espanyol de Barcelona)

愛称
Periquitos
本拠地
スペイン・カタルーニャ州・バルセロナ
所属リーグ
リーガ エスパニョーラ  プリメーラ・ディビシオン

ホームスタジアム
エスタディオ・コルネジャ=エル・プラット(新スタジアム)
  en:Estadio Cornella-El Prat
2009年8月2日 リバプール戦でのこけら落とし(3−0勝利)で最高のスタートを切る   40500人収容

クラブカラー
青と白

代表者
ダニエル・サンチェス・リブレ

監督
マウリシオ・ポチェッティーノ
Mauricio Rpberto Pochettino Trossero
国籍 他=アルゼンチン  サンタフェ州
1973年3月2日生(36歳) 身長182cm
主な在籍チーム=RCDエスパニョール  元アルゼンチン代表 CB

2008年 RCDエスパニョール女子チーム第2監督
2009年1月、18位と低迷していた古巣のエスパニョールの監督に就任する。   
4月半ばに最下位だったチームを ラスト10試合で何と 8勝1分1敗という信じられない巻き返しを見せ 最後は10位で終えた。    
2009年夏 そのまま監督として現在チームを率いるが 開幕前に キャプテンDF ハルケをプレシーズン合宿で突然失い 苦しみを乗り越えてのスタートとなっている。

歴史
1900年10月28日 バルセロナ大学工学部の学生を中心に設立。
初期は ソシエダ・エスパニョーラと名乗っていたが1年後に クルブ・エスパニョールに変更。  バルセロナなのにエスパニョールという名がついているわけは 所属選手が全国各地から集まったからと言われる。  
1912年 アルフォンソ13世より「レアル」(国王の 王立の という意味)の名が許され 現在の名前になったが 1995年にそれをカタルーニャ語の表記に改めた。

スタジアムの悲しい過去
1923〜1996まで W杯の地ともなったエスタディオ・デ・サリア を使用していたが 負債返済のため この敷地の売却を余儀なくされた。    解体されていくスタジアムに多くのサポーターが涙。
その後 公営のバルセロナオリンピックのメインスタジアムとなった エスタディ・オリンピック・リュイス・コンパニス(モンジュイック)に移転。   しかし賃借していたこの公営スタジアムは元々陸上競技場のため サポーターの評判は良くなかった。
そしてついに2009年7月 新スタジアム コルネジャ・エルプラットが完成。   俊輔の移籍記者会見をスタートに 8月2日リバプールとの親善試合で 歓喜のこけら落としとなった。

マスコット
以前のスタジアム サリア 周辺に沢山のインコが住んでいた事から それをイメージするキャラクターで色はブルー  インコを意味する「ペリコ」という名で呼ばれサポーターから親しまれている。 
俊輔のお披露目となったこけら落としリバプール戦では サポーターがもちこんだ本物のブルーのインコが 何とプレーする俊輔の元へと舞い降りるという 何とも不思議な場面も見られた。 

国内カップ戦
☆コパ・デル・レイ(国王陛下杯)
☆スーペル・コパ・デ・エスパーニャ(前シーズン国内リーグ優勝チームと国内カップ戦優勝チームとのカップ戦)
☆コパ・フェデラション(コパデルレイに出られないセグンタ等でのカップ戦)

近年は着実に戦跡を挙げてきているエスパニョール、これまでの国内タイトルは コパデルレイ 4回   カタルーニャ選手権 12回  コパカタルーニャ 12回
特に同じバルセロナ本拠地とするFCバルセロナとの対戦は カタルーニャダービーと呼ばれ グラスゴーダービー同様 毎回大盛り上がりとなる。 
またリーガでの戦跡は 最高が5位(2004−5)  昨季は懸命の追い上げで10で終わっている。

スペインリーグ
※スペインでは ラ・リーガ と呼ぶ。 1929年開始。

1部・・・・・プリメーラ ディビシオン  20チーム
2部(A)・・・セグンタ ディビシオンA(アー)22チーム
2部(B)・・・セグンタ ディビシオンB(べー)4グループ各22チーム
3部・・・・・・テルセーラ 〃(18グループ各2〜22チーム)

1部リーグの下位3チームが2部に降格、2部の上位3チームが1部に昇格。   セグンタAまでがプロリーグで セグンタBからはアマチュアリーグとなる。   尚 プリーメーラでのEU外選手枠登録は3人までとされている。

2009−10シーズン選手名と背番号
GK カメニ       1
   ハビルイス   13
   アルバレス   25
DF チカ        2
   Dガルシア    3(第2CAP)
   ピジュ(ビルッ) 5 新
   ロンカリア    12 新
   パレハ(ニコ)  16
   フォルリン    18 新 
   Vルイス     30
   ディダック    35
MF Jマルケス    4
   ヴェルドゥ     6 新
   俊 輔       7 新 
   デラペニャ    9(新CAP)
   ロラ(スミリャニッチ)11放出か?
   Fマルケス    19 新
   モイセス     22(第3CAP)
   フリアンロペス 27
FW カジェホン    8
   ルイスガルシア10(第4CAP)
   サハル     14 新
   コロ(コロミナス)20
   タムード     23
   イヴァンアロンソ24

   ※新=今季新加入した選手    
    

次項有スペイン
スペイン国旗3.bmp

正式国名
エスパーニャ王国  Reino de Espan^a
エスパーニャは うさぎ が語源とも言われている。
一方 Kingdom of Spain とも。

面積と人口
50.6万Ku日本の約1.3倍。  人口は約4616万人

首都
マドリード(マドリード人口は321万人)

通貨
ユーロ
言語
スペイン語(カスティリヤ語) その他 バスク語 カタルーニャ語 ガルシア語あり

宗教
信仰は自由。  だが カトリック教徒が圧倒的多数

国旗
赤 黄 赤。   日本の国旗を「日の丸」というが スペインでは国旗を ロヒグアルダ「血と金の旗」と呼ぶ。 
黄色は豊かな国土を 赤は外敵を撃退した時に流れた血の象徴。
赤 黄 赤の比率も決まっており1:2:1
紋章は 古いイベリア半島の5つの王国の紋章と ヘラクレスの柱を組み合わせたもので そこに巻いたリボンには 「BLVS VLTRA」(ここが世界の果て)と書かれている。
公用 軍用 だけがこの紋章入りの国旗を使用する。

国歌
スペイン行進曲 Marsha Real
曲のみで 正式な歌詞はない。

電圧 プラグ
220V  50Hz    プラグC

時差
8時間(サマータイムは7時間・日本の方が早)
サマータイム=3月最終日曜深夜2:00〜10月最終日曜深夜3:0)

年齢制限
16歳未満(州によっては18歳)の飲酒と喫煙は禁じられている。

気候
地方によりかなり違うが バルセロナなど地中海沿岸は温暖な地中海性気候。 
バルセロナ最高気温=冬場 12〜3度   夏場27〜8度
     最低気温=冬場 6度前後    夏場21度前後    

マドリードなど内陸は 冬の寒さ 夏の暑さが厳しく 昼と夜の温度差が大きい。

〜〜開幕前に簡単に掲載してみました。 後々また詳しく掲載していく予定です〜〜
  
☆ついにリーガ開幕。  初戦 ビルバオ戦に向け地元紙ではその様子を伝えようと俊輔に集まるメディアの凄さまでが記事になっているほど 注目度はダントツ。   俊輔がスペインでも輝けるよう心から祈っています! 

2009年08月27日

俊輔エスパニョール新キャプテンにデラペニャ

ひらめき前回更新の「中村俊輔 夢をかなえるサッカーノート」発売 追伸よりこちらへ移動しましたexclamation×2


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エスパニョールが、キャプテン ハルケ選手死去後ついにDFを完全移籍で獲得!
それはチームにとって3人目となるアルゼンチン選手で、 アルゼンチン代表DF JuanDanielForlin(フアン・フォルリン)  5年契約で獲得した。 移籍金は400万ユーロ。
フォルリンは1988年10月1日生まれのまだ20歳。  アルゼンチン サンタフェ出身で 身長180センチ、 ボカジュニアーズの下部組織の出身だが 2007年夏からは レアルマドリード カスティージャにレンタル移籍の経験も持ち 2008年からはボカジュニアーズでDFとしてプレーしているアルゼンチン代表。    今月8日にイタリア合宿中心不全で急死したダニエル・ハルケ主将の穴埋めとして大いに期待されている。

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DFフォルリンに次いでエスパニョールは 先週水曜から入団テストの訓練に参加していた若手MFマルケスと正式に契約を交わした。  これでチームは今季7人目の獲得となった。   1年契約だが 4年もの延長オプションつき。  スピードあるドリブルが武器で今季移籍したネネの後釜(左サイドハーフ)としての活躍が期待されている元スペイン代表   1984年12月4日生まれの24歳だ。 
これまでラーヨバジェカーノ ラシンサンタンデール アトレチコ カスティジョンでプレー しかし プレーの才能は見事だが それ以外での数々の問題行動から スペイン国内での移籍が出来なくなり ギリシャへと渡った経緯がある。  これまではギリシャ1部のイラクリス在籍。
心を入れ替えたとの事だが 果たして・・・  

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一方今季キャプテン ハルケの思わぬ死去から これまでずっと決定していなかった 新しいキャプテンに ベテランのデラペニャが決定した。  選手達が決めたようだ。  デラペニャの正式名は イヴァン デラペニャ ロペス。
1976年6月5日生まれの33歳。    169cm69キロ。
1996〜8バルセロナ 1999〜2000マルセイユ  2000〜2001バルセロナ  そして2002年からは ずっとエスパニョールで活躍。   尚 現在ひらめ筋を痛めており 開幕ビルバオには出場はできそうにない。    副キャプテンとして 第2 Dガルシア  第3モイセス  第4ルイスガルシア が代わりを務める事になった。

チームは26日サンクガットでビルバオ戦に向けての練習を行った。
俊輔はこれまで左での起用が多かったが 右でプレー、 次々選手が獲得される中 これまでの厳しい練習の成果か 俊輔は全く動ずることなく順調な仕上がりを見せているようだ。   
地元スポーツ紙に寄せられるサポーターコメント覧にも ビルバオ戦の予想&希望スタメンには どれもNAKAMURAの名が記されている。
リーガ開幕は 厳しいアウェーでの戦いとなるが 俊輔のポジションはいったい右か左か中央か・・・  頑張れ俊輔!!

2009年08月25日

中村俊輔「夢をかなえるサッカーノート」発売

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9月5日に 俊輔が高校生の時から約15年にも亘ってずっと書き綴って来た延べ11冊のサッカーノートの内容が ついに本になって発売される事になった。
詳しくはこちらから↓
文藝春秋さん
http://bunshun.jp/pick-up/soccer-note/
Number Webさんより
http://number.bunshun.jp/europe/column/view/4066/
こちらはスポーツ報知さんより
http://hochi.yomiuri.co.jp/soccer/world/news/20090824-OHT1T00303.htm

ついに禁断の 「俊輔サッカーノート」の内容が明かされる!
勿論 スペインへ渡り リーガで多くの壁に当たり乗り越えて行くであろう俊輔のノートは これからも これまで以上に濃い内容で ず〜っと続いていく事は間違いないが・・・
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※今回はオフィシャルHPからの販売は行われません

一方エスパニョールは・・・
ハルケ死去後ついにDFを完全移籍で獲得!
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エスパニョールが、アルゼンチン代表DF JuanDanielForlin(フアン・フォルリン)を5年契約で獲得した。 移籍金は400万ユーロ。
フォルリンは1988年10月1日生まれのまだ20歳。  アルゼンチン サンタフェ出身で 身長180センチ、 ボカジュニアーズの下部組織の出身だが 2007年夏からは レアルマドリードカスティージャにレンタル移籍の経験も持ち 2008年からはボカジュニアーズでDFとしてプレーしているアルゼンチン代表。    今月8日にイタリア合宿中心不全で急死したダニエル・ハルケ主将の穴埋めとして大いに期待されている。

2009年08月24日

俊輔エスパニョールハルケ追悼戦ジローナ

ジローナ.bmp
8月8日キャプテンハルケの悲劇から2週間 悲しみを乗り越え歩き出したエスパニョールは 22日リーガ開幕前 プレシーズン最後の練習試合を行い 2部のジローナと対戦した。   新スタジアム コルネジャでのこけら落としリバプール戦からは何と3週間ぶり イタリア合宿でのナポリ戦を入れても17日ぶりとなるこの試合は ハルケ死去後 チームが迎えた初の実戦ともなった。

「ハルケにこの試合を捧げよう」とハルケの追悼試合となったこの一戦、スタジアムMontiliviには夜10時近くから行われる練習試合にも関わらず4000人を超えるサポーターが集まった。
ユニの胸中央に小さくそれぞれのナンバーが入ってはいるものの 選手達全員が 「背番号21ハルケ」のユニを身に纏いプレー、 さらに それぞれの左腕には 相手ジローナも含めた全選手に黒い喪章が巻かれ   試合開始前には会場全員での1分間の黙祷も捧げられた。

たったの3日間でのとんぼ返り帰国後 翌19日に再合流した俊輔は ジローナ戦前日練習でも主力組で連携確認など行っていた事もあり この日もルイスガルシア タムードらと共に左サイドで先発。
デラペニャ Dガルシア モイセズ パレハなど 故障で主力4人を欠いてのエスパニョールだったが 俊輔はルイスガルシアらと右 中央へとポジションを替えながら サイドへのロングパス 素早い連携で再三チャンスを作った。  更に個人技でもルーレットでの巧みなボールさばきを魅せるなど 何度も会場を沸かせ そのバラエティにとんだ攻撃プレーを地元紙も絶賛した。 
ジローナゴール.jpg   
エスパニョールは24分 ガルシアのパスに反応したアロンソが先制ゴールをあげると アロンソは両手でハルケの背番号 2と1を 示し天に突き上げた。  駆け寄ったチームメイトも皆 同様に指を高く突き上げ一気に勢いづいたエスパニョールは その8分後の32分 今度はガルシアが左サイド遠目からのFKで直接追加点を奪い2−0で折り返した。

後半からはGKカメニをはじめアロンソ タムード他殆どの主力が交代、 俊輔もコロと交代した。   後半73分 相手マンガにFKから1点返されたものの チームは1ー2で勝利。    開幕最後と言われる実戦で 先ず先ずのいい仕上がりを見せた。    
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この日は地元紙でもジローナ所属のU20指宿との日本人対決が期待されていたが 残念ながら指宿は前の代表の試合で左膝靭帯を痛め全治1週間で欠場、ピッチでの対戦はならなかった。      しかし指宿は目の前での先輩のプレーにやはり大きな刺激を受けたようだ。
一方サッカー協会 原委員長もこの試合を視察  「世界最強リーグと言われるスペインプレミアで活躍する日本人 中村俊輔」 に大きな期待を寄せているようだった。

他の主力と共に前半で交代した俊輔だったが 急転直下の移籍から約1ヶ月半 開幕を1週間後に控え チームメイトとの連携も1試合1試合少しずつ いや かなり?よくなってきているようだ。  
ハルケの死により チームは一時立ちあがれないほどのダメージを受け プレシーズン調整に思わぬ苦境を強いられたが あれから2週間 ハルケの元気な姿を胸に ようやく選手達は前を向いて歩き始めた。  

俊輔エスパニョールがついに悲劇を乗り越え リーグ開幕戦 ビルバオをアウェーで迎える。 (30日現地時間午後5時、 日本時間31日午前0時〜)      
俊輔が 小さい頃からずっと憧れて来た夢のスペインで ついに新しい歴史をまた刻みはじめる。。。   我が家も車も揃い家族も呼び寄せようやくホテル暮らしからも脱出 スペインでの生活環境もこれで整った。   1試合こなす毎にアピールし スペインでも攻撃の核として、 チームになくてはならない選手として大活躍出来るよう 心から祈りたい。

【追伸】
本日午後 俊輔  カメニ(カメルーン)パレハ(アルゼンチン)が代表から召集された事がチーム側から発表された。

2009年08月17日

俊輔エスパニョール 悲劇乗り越え必死の調整

14日 ハルケ追悼セレモニーから 約5日ぶりの練習再開となったエスパニョール。    開始から順調な動きをみせチームを引っ張っていた俊輔が 2日目となる15日のミニゲーム中 左足付け根に違和感を覚え大事をとり途中で引き上げた他 チームメイトにも次々と離脱者や風邪などで体調を崩す選手が出た。
早く遅れを取り戻したいエスパニョールだが 翌日16日を完全オフに。   
そして週明けの今日17日。  エスパニョールのもうひとつの練習場バルセロナ郊外SantCugat(サンクガット)CARで猛暑の中 午前午後と2部練習のミニ合宿に入った。 サハル モイセス ガルシア等復帰する選手もいる一方 また別メニュー選手もおりコンディションは様々だが ここは寮などもあり食事面は問題なし。

開幕前最後の練習試合と言われているジローナとの試合まであと5日に迫り、 チームはイタリア合宿中止での調整遅れを少しでも取り戻そうと 選手達のフィジカルと連携を高める為 この必死の調整を行っている。   思わぬ中断にも拘らず 現地情報によれば選手達はその影響を感じさせないプレーを見せている模様。   合宿は明日18日も行われ その後サンアドリアに戻る予定。   尚 今日の練習に俊輔が参加しているかはまだ掲載されておらず。
【追伸】
クラブの許可で不在と掲載

【追伸】
俊輔はこのミニ合宿には参加しておらず 日本に一時帰国の模様。 

【追伸】
18日午後バルセロナに家族と共に戻った俊輔は翌日19日の練習に復帰。  3日間での強行帰国とあって 流石に別メニューでの調整となったようだ。    チームは 3部のCassaカッサと練習試合をこなし 試合後にはまたバーベキュー大会が行われ 選手たちの精神的&肉体的疲れを癒し親善を深めた模様。    試合はカジェホンの見事な2ゴールで5−0と勝利した。  
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一方 9月5日日本代表と対戦予定のオランダ代表に セルティックの元チームメイト 若手DFルーフェンスが選出された事が判った。
もし共に出場となれば 約3ヶ月ぶりに同じピッチに立つ事となる。

ひらめきいつも沢山の方に遊びに来ていただき 誠に有難うございますexclamation    申し訳ありませんが 管理人都合により更新が3〜4日遅れる予定です。

2009年08月14日

俊輔エスパニョール悲しみのスタート

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ハルケの死から5日 エスパニョールがついに静かなスタートを切った。   13日の追悼セレモニーに 練習着を着て集まったエスパニョール選手達・・・  その理由は この悲しみを乗り越え 自分たちは早く新たなスタートを切らなくてはいけないという覚悟を表したものだった。
10時半から始まったこの日の練習は 報道関係者もシャットアウトした完全非公開。
ピッチに姿を表した選手達は 全員で円陣を組み抱き合い 黙祷を捧げた。
静かなスタート・・・  ミーティングから 軽いジョギングなど約1時間に亘り身体を動かした。
デラペニャは足の故障でトレーニング前に引き上げ サハル ウルタドは風邪の為 練習には参加しなかった。
非公開にも関わらず集まったサポーターからは 練習前後 選手達に励ましの拍手が贈られた。
この日 監督ポチェッティーノ氏は悲劇から初めて 報道陣の前に姿を現し心境を語り この不幸がきっとチームを強くしてくれる ハルケとハルケの家族の為に そしてこのクラブの為に ゴールを奪い 戦い続ける・・・等とコメント またパレハも彼を失ったショックの大きさを初めて語った。 

一方 スペイン代表は12日マケドニアと親善試合を行い 金色でハルケと大きく名前の入った21番の真っ赤なユニフォームをスタッフ含めた全員が着用、 試合前には黙祷が行われた。  前半に2点もリードされたにも関わらず 後半 何とたったの4分間に3得点を決め勝利するという まるでハルケが舞い降りたかのような信じられない試合展開となった。   

エスパニョールは22日 予定通り ジローナとの練習試合をこなし 開幕を迎える模様。
ハルケ・・・ チームに大きな力を!!
foto_382203_CAS.jpg 

【追伸】
練習開始から2日目 ようやく公開練習となったこの日 選手たちは久々の実践練習で連携を確かめた。 (現地紙には練習内容の詳細がまだ掲載されていないので国内紙を貼り付けさせていただきます)
http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/soccer/news/CK2009081502000125.html
http://hochi.yomiuri.co.jp/soccer/world/news/20090815-OHT1T00012.htm
http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2009/08/15/10.html
俊輔!エスパニョールを引っ張って行ってくれ〜!!

2009年08月13日

俊輔スペインスポーツ紙表紙飾る

キャプテン ハルケの死で静まり返っているスペイン。  しかし試合は待ってくれない。  選手達は今日ハルケの姿を胸に 久々の練習を再開する。
リーガ再開まで2週間となった昨日 地元スポーツ紙「Donbalon」で出された2009−10シーズンの情報誌で 俊輔が ロナウド カカー イブラヒモビッチらと共に表紙を飾った。   
今季期待される 銀河系?メンバーとして ついに日本人中村俊輔がスペインサッカーの顔となった。
一方 先日亡くなったハルケの追悼紙も同時に。  ハルケのこれまでのサッカー人生と活躍 それと共に彼を知る多くの人達が思い出を語っている。  繰り返してはいけない・・と 彼がもたらしてくれたこの問題を 医学的に考えた今後の対応 どこまで回避が可能か・・・なども語られている。
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祖父とハルケ
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http://www.youtube.com/watch?v=Ih2jfQp6P-A
Donbalonユーチューブ ハルケ追悼映像
http://www.youtube.com/watch?v=6tDLaSn9BYs&feature=related
一度でいいからハルケに会いたかった・・・
http://www.youtube.com/watch?v=7RDJ4bbkgXA&feature=related
ハルケよ永遠に・・・

2009年08月09日

衝撃!俊輔イタリア合宿緊急速報!〜ハルケ追伸

ダニエル・ハルケ.bmp
イタリアで合宿中のエスパニョールに 突然信じられない何とも悲しい衝撃が走った。
俊輔合流から2週間のペララダでの合宿を終え 8月5日からイタリアでの遠征合宿を行っていたエスパニョール。   
ナポリでの試合を終え フィレンツェで合宿をはっていた8日、午前練習に参加した キャプテン DFダニエル ハルケ が午後 妊娠7ヶ月の彼女(ジェシカ)との電話中に 心臓発作で倒れ 亡くなったという情報が入った。
(食事に?)中々降りてこなかったハルケを迎えに チームメイト(コロミナス)が関係者と様子を見に行き部屋のドアを開けたところ 倒れていた模様。   不安に感じた彼女もコロに連絡を入れたとの情報もある。
すぐさま 救急車で病院に運ばれ蘇生処置を行ったが その甲斐もなく彼は息を吹き返すことなく亡くなってしまった。
この日午後は自由時間だったため 何人かの選手は フィレンツェへと出かけていた模様。  ハルケは午前中からやや体調が優れず 午後は宿舎にいた。  
ハルケの隣の部屋で休んでいたという俊輔は 騒ぎに慌てて駆けつけたものの 既に必死に人口蘇生を施されるハルケを前にして 何もする事が出来ず立ち尽くしていたという。 

DFハルケはまだ26歳。 正式名は ダニエル・ハルケ・ゴンザレス(1983年1月1日生)   バルセロナ出身で小さい頃からエスパ下部に所属 2002年からずっとエスパニョールの選手としてプレー、 昨季は副キャプテン 今季からは タムードに代わり キャプテンを務めていた。    
先日のリバプール戦でも チームメイト中 一番最後までプレーし3−0に貢献するなど 活躍していた。
開幕を前に チームに大きな大きな衝撃が走った。 チームは今後のスケジュールを調整、 合宿を中止する模様。

一方新スタジアムでは 訃報を知った多くのサポーターが 21番(彼の背番号)ゲートを訪れ花束やろうそくを手向けている。  スペインのサッカー協会では 彼の死を悼んで3日間喪に服すことを決めた。 

【追伸】
先程 9日現地時間午後1時半頃 イタリアで合宿を行っていたエスパニョールの選手達がエルプラット空港へ到着、 空港内へ乗り入れたバスは監督関係者を乗せそのまま新スタジアムへと移動した。  クラブ側からは空港周辺には来ないようにとの支持が出されたにも関わらず 少しでも近づきたいと願う多くのサポーターが集まった。  

ハルケの遺体はイタリアの病院での検視のあとスペインへと戻ってくるが イタリア当局でも約3日間かかる検視をなるべく早める努力をしている模様。  今のところ死因は 心臓麻痺の他 脳動脈瘤の可能性も考えられているようで 現地の一部情報によると月曜9:00から検視が行われ 火曜日頃遺体が戻り 水曜には埋葬の儀式が行われるかもしれないとされている。(現地時間)   

バスがスタジアムに到着した際には何百人もの多くのサポーターから静かな拍手が贈られた。   降りてきた監督は 出迎えた関係者らと悲しみの抱擁、思わぬ悲劇に呆然としている様子だった。 
一方新スタジアムには5万人ものサポーターが続々と集まり ハルケの応援歌などを歌いながら彼の死を悼んだ。  サポーターからは新スタジアムの名称をダニエルハルケにしようという声が多く上がっている。1249807948_extras_portada_0.jpg  
【追伸2】
10日午前9時頃始まった検視は午後2時頃終了した模様。  イタリアの医師によって行われた検視を終えた結果 ハルケの死因について 一部現地紙によると 心臓や肺に影響を及ぼすウイルス感染も考えられるとの情報も入ってきたが 直接の死因はやはり心不全(正確な病名は訳せず)等心臓の発作が原因のようだ。   しかし検査の中には結果待ちになっている細かい部分もまだある模様。
一方オフィシャルショップには ハルケのユニフォームを求めるサポーターが多く訪れており クラブ側は21番ハルケのマーキングを無料で行うなどの配慮をしている。   ハルケの家族からはクラブ サポーターに対し 昨日感謝の言葉が発表された。

【追伸3】
予定通り11日火曜未明 現地4:25分頃 検視を終えたハルケの遺体が専用機でバルセロナ エルプラットに到着した。   現在は家族と共に過ごし その後 新スタジアムの教会にて?お別れのセレモニーが行われ 14:00〜18:00の間は 市民 サポーターにも開放される模様。 

【追伸4】
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11日行われた新スタジアムでのセレモニーには昼間の時間に限られていたにもかかわらず 子供から大人まで1万5千近くのサポーターが訪れ 若き主将に悲しい別れを告げた。  
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その行列は最後まで途切れる事はなかった。 2時から行われたこのセレモニーには バルサ レアル幹部 キャプテンなど チームを超えた弔問者も訪れていた。   スペイン代表や元チームメイトなど 多くの監督選手達からも次々とお悔やみのコメントが寄せられ 改めて彼の人間性の素晴らしさを(今更ながら)知ることとなった。
1時からはチームメイトや親族によるお別れが行われ 俊輔ら選手達は練習着で約1時間 主将に最後の別れを告げた。   彼の遺体は本日13日に埋葬される予定。  
現地情報によると 妊娠中とされたハルケの彼女ジェシカは9月に出産予定の模様で 既に女の子という事が判っており 名前はマルチナ。   彼が既に名づけていたのだろうか・・・ 彼女の中に彼はずっと生き続ける・・・
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一方 チームはこの大きな衝撃に今後の日程が全く定まらず 22日に行われる予定だった開幕前最後の試合 ジローナとの対戦もまだ行えるか判らない状態とされている。    
リーガ開幕まであと僅か半月。  絶好調で迎えたこけら落としだったが 2009−10シーズン思わぬスタートとなってしまいそうだ・・・ 

【追伸5】
昨日の追悼セレモニー後 ようやくチーム側から練習を再開することが発表された。    セレモニー直前 会長 監督らが話し合い決定した模様。   今日にも練習が始まるようだ。   また現地ではハルケの追悼試合をという声もあがっている。   シーズン直前のこの悲劇、悲しみを乗り越え ようやく1歩 前へ歩き出す時が来た。
前述の通り 昨日の追悼セレモニーに喪服ではなく 練習着で別れを告げたエスパニョール選手達。  それにはハルケの死に負けず自分達が1歩新たなシーズンへ 早く踏み出さないといけないという 気持ちを表したものだったのだ・・・  

※訳はかなり大雑把なので 多少ニュアンスの違いがあるかもしれません。   

2009年08月08日

イタリア合宿SPORT紙インタビュー

今日 地元SPORT紙で俊輔のインタビューが掲載された。

〜ここでプレーするために沢山のオファーを断った(かわしてきた)〜 より

初頭にはまず 「中村は穏やかで思慮深く それでいてとても控えめな日本のアイドルです・・・」から始まって・・・

オファーを受け入れた決断に対して 「セルティックの契約が終わった時点で日本に帰ることしか考えていなかったから 沢山あったオファーも皆 断っていたんだ。  でもスペインは自分の小さい頃からの夢だったし大好きなリーグ。   夢を諦めることは出来なかった・・・
だからとっても今 幸せを感じている。

決断した理由は 家族。 家族が支持(同意)してくれた。 日本人学校があった事も良かったし バルセロナは大都市だしね。
自分にとっては家族が一番重要だから。。。」

スペインサッカーの魅力については 「中盤が他のリーグより特に優れている事、テクニックもそうだし自分が一番求めてるものだから。。。

厳しいあたりについては 3年やったイタリアではもっと厳しかったし問題はない。   セルティックの4年は代表もあって 開幕前の準備ができなかったけど 今はトレーニングできてるし順調だと思う。」

代表の活動について 「今はエスパニョールでいい結果を出すことしか考えていない。   ここでいいプレーをしなければ代表にも呼ばれないからね。 ここでのプレーが重要。

エスパニョールでは攻撃麺だけでなくて 守備でも貢献したい。チームの為にね。
ポジションについては 左とか右とかはあまり重要じゃない。 コントロールするのは好きだけど 監督の言うとおり支持された事をしっかりやるだけ。」

監督については 「来る前からアルゼンチンのCBだった事は知ってるよ。   監督就任してからの昨季の指揮も凄かったし。
監督はとっても若いけど 選手にとっても近い存在。    よく話しかけてくれるし 気を使ってくれている。」

今思う事は? 「リバプール戦がとても重要だった。 練習でやってきた事が間違っていないと判ったし。   自分がどういう風にプレーすればいいかもわかったしね。
チームにいち早く溶け込んだ事については 「それが一番大事だからね。 本当にチームメイト達が皆自分を助けてくれるし いい選手ばかりだよ。」

多くのジャーナリストやファンに囲まれる事に関しては? 「彼らとはいつも話をするけど 日本でもそうだし慣れているから 特に問題はないよ。 彼らの仕事だしね。 自分ももう31歳だし。 普通の31歳の家庭のある人間だから。 普通に年取りたい。  基本的には静かに暮らしたいとは思うけど。
家族との時間を大切にしたいし あまりそういう時間もとれないからね・・・   
家族については 子供は二人いて(奥さんは?)とても家庭的な人。」

家は決まった? 「うん でも都市内でなくバルセロナ郊外だよ」
食事に関して おいしかったと言ってたフィデワ、他には何か試した?
「アンチョビの酢漬けが好き! スペインの食事は凄くおいしい。 
スペインの文化は日本とは全く違うけど 自分はそういう環境に慣れるのは早いよ。」

スペイン語を勉強しているのは知っているけどエスパの後 将来については?    「全然考えてないよ。 ここでいいプレーして成長することだけしか考えてない。」

初めてプレーしたリバプール戦については? 「凄く良かった。 スタジアムも大好きだし ファンも素晴らしい。
3−0だった事については とってもいい試合だったけど 相手はシンガポールからだったから疲れてたよね・・ 自分達も6部のパラフルジェルでそうだったけど・・・笑」


エスパニョールでCLを戦う事とか考える?
「笑〜! まだまだプレシーズン、少しずつ レベルアップしていく事が目標だよ。」 とコメントした。  

訳はかなり大雑把ですが(どうしても訳せない部分もあって・・) こういうインタビューから スペインサポにも 俊輔の人間性の素晴らしさをわかっていってもらえるのではないでしょうか・・・。

※本日昼に更新したこの記事がどういうわけか2005年8月に掲載されてしまっていました。  申し訳ありません。 

2009年08月05日

エスパニョール俊輔イタリア合宿へ出発!

地元紙は新スタジアムこけら落としリバプール戦勝利から3日 俊輔ら24選手が今日午前 バルセロナからイタリアへ向け 出発したと報じた。

選手らは到着後早速夜20:45からサンパオロスタジアムでナポリとのフレンドリーマッチをこなした後 翌日朝 すぐにフィレンツェ コベルチアーノ(イタリア代表も合宿をはる場所)へと移動 そこで9日まで合宿をはり ボローニャとリミニで練習試合、 その後 更にモンテカティーニへとまた移動し12日アーマンドピッキにて リボルノと対戦し バルセロナへと戻ってくる。

疲労がまだ抜けていない中での第2合宿イタリア過酷遠征。 
開幕までまだ3週間あるが 疲労による怪我人などが出ない事を祈りたい。
13日帰国後 ようやく暫しの休養が与えられる模様だが 俊輔は折角の休養日にも 取材やCM撮影が入ってしまう事が多い。
今は一番大事な時期だけに しっかり身体を休める時間を与えて欲しい・・・。

一方 新スタジアム初となる記念すべきゴールを決めたルイスガルシアが地元紙のインタビューに答え 俊輔のアシストを賞賛した。
このインタビューに関しては ナビさんがまた 丁寧に訳して下さってるので 手を抜いて貼り付けさせていただきます。
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/eusoccer/0910/players/headlines/20090804-00000007-spnavi-socc.html

【追伸】
日本時間未明行われたナポリとの対戦、前半はアルバレス ビルッ ディダック ロラ コロ ロンカグリア パレハ ハビマルケス サハルら ほぼリバプール戦控えスタートのメンバーが出場 選手の組み合わせ またトップへ加入仕立ての若手らの動きを見るなど練習試合の域を超えていない内容となった模様、 主力は疲れを考慮か 後半途中からの出場となり 俊輔も ハルケ ルイスガルシア モイセス タムード らと共に約20分ほどプレー 速いパスを繋ぎチャンスを作ったが チームは0−0でのドローに終わった。   デラペニャは出場しなかった。
既にチームは高速列車にてフィレンツェへ移動 9日のボローニャ戦まで合宿をはる。
ナポリからの3時間のこの移動では各選手 音楽を聴いたりトランプで楽しんだり 睡眠にあてるなどして過ごした。  ホームではやはり俊輔に注目が集まっていたようだ。

しかしセルティック以上にエスパニョールは各国代表の集まりだ。  チームは合宿をはるが GKカメニはカメルーン代表でオーストラリアへ FWベンサハルはイスラエル代表でアイルランド ニコパレハはアルゼンチン代表でモスクワ・・・ と次々チームを離れ 代表へ合流となった。

2009年08月04日

エスパニョール俊輔超満員コルネジャで鮮烈デビュー!!

2009年8月2日。 この日 エスパニョールにまた新たな歴史の1ページが加わった。   
1997年以降公共のオリンピックスタジアムを借り試合を行ってきたエスパニョールだったが ついに今年 ホームとなる新スタジアム コルネジャエルプラットが完成。   
そのこけら落としとして2日 エスパニョールが対戦相手に選んだのはあのプレミア強豪 リバプールだった。   

7月13日 一足早くこの新スタジアムで初となる移籍記者会見を行い 新たな舞台へかける強い気持ちを語った俊輔。    その後約2週間に亘り行われたペララダでの過酷合宿で 最後地元2チームとの練習試合をこなしたチームだったが 最後の試合は核下アマチュアチームにPK含めて2−1で辛勝という大きな課題も残してしまっていた。   疲労もあるだろう  しかしリバプール戦前に大丈夫なのか・・・ 

期待と不安を併せ持ったまま迎えた このこけら落とし。
試合前日 スタジアムで調整を行ったチームは これまで怪我による別メニューとなっていたデラペニャがようやく合流、新スタジアム初の試合に向け 登録メンバー22人も発表され 監督は「親善試合ではあるがとても重要な試合だ 真剣に戦わなければならない」とコメントした。

ついに中村俊輔のスペインデビュー戦だ。  既にチケットは完売。 約4万2千人収容のコルネジャは超満員となった。   相手は強いが新スタジアム初戦だ 何とか勝利でのスタートを切りたい・・・!

ブルー一色のコルネジャ。  スタメンが発表された。
その中にはしっかり「SHUNSUKE NAKAMURA」の名前。   布陣を見ると4−2−3−1の何と左。    
練習試合では右でのプレーが多かっただけにこれには やや驚いた。  

選手達が白いTシャツ姿で登場。 赤ユニのリバプール選手を握手で迎える。    Tシャツを脱ぎ 新しいこけら落としのブルーユニでチームメイトと記念撮影におさまる俊輔、 感慨無量だ・・・   

ついに俊輔が スペイン エスパニョールの選手として初のピッチに立った。   
リバプールのキックオフで始まったこの試合 最初に積極的な攻撃を見せたのはリバプールだった。  
案の定ジェラードとトーレスを中心に素早い攻撃を見せるリバプール。 ジェラードの最初のシュートは大きく上へ。。。

その直後だった。 低い位置でDFからのパスを受けた俊輔を相手二人が左右から挟みこみ 潰された。   早速厳しい相手のチャージを受けた俊輔だったが しっかりパスは既に味方へ・・・。
5分だった。  俊輔は左サイドで相手グレンジョンソンのボールを一気に奪うと前線へとドリブル突破 エリア左角で必死に追うグレンに後ろから倒されFKを得た。

左だった事もあり FKはルイスガルシアが蹴りクリアされたが大きなチャンスを作った。   その後相手ジェラードによる ひやりとする場面はあったものの 9分今度は左サイドで こぼれ球をすかさず拾った俊輔 ガルシアとの見事なワンツーからガルシアがエリア左へ飛び出しクロス! そのラストパスは僅かにずれ 味方のシュートまでは行けなかったものの また見事な連携からチャンスを作り出した。 

強豪リバプール相手にいい試合を見せるエスパニョール。
10分今度はガルシアのクロスクリアから右CKを得た。   蹴るのは俊輔。  コーナーへ向う俊輔に会場から大きな拍手と歓声が起こった。
そのCKに味方が飛び込むも 僅かのところで相手DFが触り あわやオウンゴール!  
会場サポは次々と繰り出されるチャンスに早くも興奮状態となった。

11分 右サイドへと流れていた俊輔は デラペニャからの大きなサイドチェンジを受けると 空かさずプレスに来た相手DFを背負い二人に囲まれたままキープし、味方へ。 そんなちょっとしたプレーにも会場からは拍手と歓声が起こった。   俊輔がボールを持つ度に沸く4万のサポーター。  

しかしこれらは序の口に過ぎなかった。
19分。 ついに均衡を破る瞬間が訪れた。  
俊輔は左に戻っていた。  中央ルイスガルシアからのパスを受けた俊輔は一気にゴール前に飛び込む味方にアーリークロス!! そのクリアボールが戻ると 今度はダイレクトでエリア中央 一瞬フリーになったガルシアに 鋭い縦パスを入れた。    ガルシアは受けると 一気に寄ったDFをワントラップで交わし左からシュート!!
見事ゴール右に突き刺さり エスパニョールが先制した。

新スタジアム初ゴール。 今季チーム初ゴールだ。  そのガルシアのゴールを見事なパスでアシストしたのは紛れもない俊輔だった。
新スタジアムは揺れんばかりの大爆発、 全員総立ちで飛び跳ねながらその二人のヒーローに拍手と歓声を贈った。      ガルシアはゴールを決めるとピッチで一回転 俊輔に抱きつきそこへ一気に味方が駆け寄り 二人はもみくちゃになった。

先制を許したリバプールはその後必死の反撃を見せるもゴールは割れずボールポゼッションもエスパニョールが上回っていた。
だが俊輔劇場はまだまだこれで終わりではなかった。

41分、DFハルケから中央低めでボールを受けた俊輔は 一気に前線のタムードへとロングキラーパス! タムードはそのままボールに触る事無くエリア左からシュート!!それがゴール右に突き刺ささり 会場は2度目の大爆発〜!!  誰も2点目を疑うものはいなかった。
しかし何と 信じられない事に審判がオフサイドの旗・・・
(録画で見てもこれはオフサイドではない・・・)  
俊輔の2アシスト目は 幻となってしまったが このマジックのようなプレーにスペインの目の肥えたサポも釘付け 観戦していたクラブ幹部らの面々も思わずご満悦の表情を浮かべていた。
前半を終え引き上げる俊輔の前にジェラードの姿があった。 二人はお互いのの活躍を讃えるように背中に手を回した。

後半からは GKカメニ デラペニャ タムードら主力と共に俊輔を温存 ベンチに下がっての観戦となったが  初の歴史に残る試合で 俊輔は合流2週間とは思えない見事な連携で 強豪相手に何度もチャンスを作り会場を魅了 その強烈な存在感を印象付けた。

後半 両者共に次々と選手を入れ替える中 新加入の若手FWサハルがいい飛び出しで追加点を奪い 結局エスパニョールは 3−0での完勝。   ベンサハルは後半2点を追加 1点はコロの個人技によるごっつあんゴールだったが まだ19歳の新加入FWの動きに 俊輔もベンチから更なるイメージを膨らませているように見えた。 
層のぶ厚いエスパニョールが ついにあのリバプールをも3−0で圧倒した。
   
やっぱり 俊輔の左足はスペインでも眩いばかりの光を放った。 コルネジャ完成披露の歴史に残るこの一戦で 日本のスポ紙からライバルと言われていたデラペニャと共に 4万2千人の超満員の観客の前で その実力を見せ付けた。   
左で先発を果たした俊輔だったが 途中何度も味方とポジションチェンジ 右 中央と流れながら 何度もチャンスを作った。 

周囲との連携も本当にスムーズだった。  俊輔にボールが入ると察すると同時にもう走り出しているFW、 さすがにスペインだ、チームメイト一人一人のレベルも相当高い。 
親善試合とは言え リバプールも確かに本気だった。  エスパニョールの再三の攻撃に たまらず何度も繰り出される相手のファール。。。

新スタジアムこけら落とし記念試合は 試合前の予想を裏切る エスパニョールの圧勝で終わった。 
一夜明け 地元紙はやはり各紙共に俊輔を絶賛。  
決して気は抜けないが こんな中でプレーし続ければ俊輔自身 W杯へ向け大きな大きなレベルアップが出来る事は間違いない。      

開幕まで約1ヶ月 最高のスタートを切ったエスパニョール俊輔は 早くもペリコの心をわしづかみにした。  5日からはイタリアへの遠征が始まる。   レッジーナのナカが エスパニョールのナカへと大きく成長し ついにイタリアへ凱旋を果たすことになる。 
※試合詳細は試合速報日記にて
http://celtic-game.seesaa.net/