2008年02月10日

俊輔Champions

チャンピオンズ表紙全体.bmp
2007年11月頃 既に現地で店頭に並んでいた このUEFA公式雑誌Championsの12〜1月号。     英字版は日本で購入すると多少高価にもなる事、 また 前回掲載したFIFAマガジンとは違い Championsは 不定期ではあるものの 日本語版が遅れて出る為  今回だけは それを待っての購入となった。   
おかげで 前回のように 要訳する必要もなく・・・(笑)

という事で もう既にご覧になった方も相当多いと思いますが 念の為 抜粋してアップしてみました・・・。

〜  〜  〜  〜  〜  〜  〜  〜  〜  〜  〜  〜  〜  〜  〜   

=バルセロナと対戦するセルティックのスターは言わずと知れた中村俊輔である。  心配された怪我も癒え 重要な一戦を前にした彼に Championsが迫った= 

2005年 ゴードンストラカンが270万£でセリエAのレッジーナから故障がちの中村俊輔を獲得した際 多くの評論家はその補強を疑問視した。    だが中村は 06年 11月のマンチェスターU戦での一振りで 世界的スターの地位を手に入れた。   
距離にして約30メートルのFKは ファンデルサ−ルの守るゴールネットを揺らし セルティックのクラブ史上初となるチャンピオンズリーグのベスト16進出を手繰り寄せた。

 中村の代名詞となっているFKは 昨シーズンの終盤にもチームに歓喜をもたらした。     キルマーノック戦で見事なFKを決め セルティックをスコットランド プレミアリーグ2連覇に導いたのだ。
「五輪代表時代にマンU戦と似たようなゴールを決めました。    違ったのは 右サイドでなく左だったという事と ポストに当たって入ったこと。     実はそのゴールのほうが気に入っているんです。   ファンデルサールを破ったことは素晴らしい事だったし キルマーノック戦での一発は重要だったけど 五輪代表でのゴールが過去最高のFKでした。」

スター集団のマンU戦を相手にFKを蹴る際にはどんなことを思い描いたのだろうか?
「いつでも手順は同じです。  先ずはボールとGKのポジションを確認する。   そしてGKの身長を見て ボールの軌道の高さを決めます。    そして助走の際には 絶対に決められると自分に言い聞かせる。     あの夜 FKを決めればヒーローになれると思ったし 嬉しいことにその通りになった。     でもファンのみんなには理解してもらいたいけど 毎回のように決めることは出来ないですよ。」

その2ヶ月前のオールドトラフォードでの対戦でも 中村は似たような位置からFKで直接ゴールを狙い チャンピオンズリーグで日本人初得点を挙げ 歴史に名を刻んでいた。        だが中村はFKだけの選手ではない事を強調していた。     ただ178センチ 70キロの身体では プレースタイルは限られてくる。

幼少時代 身体を張ってボールをキープするのが難しいと気づき その左足を 磨き上げる事を決めた。    そしてそれが今日のスターを生んだのだ。

中村は アジアからヨーロッパへの挑戦は決して簡単な事ではないと言う。   「日本の選手にとって ヨーロッパでプレーする事はとても大変なことです。   プレースタイルは勿論 文化の違いなど たくさん障害があるから。   時にそれは人種差別であったりもする。
スコットランドではないことだけど イタリアではたまにありました。   ヨーロッパで成功する日本人選手が少ない理由には そういった原因もあると思います」

02年W杯日韓大会での中村は フィリップトルシエ率いる代表メンバーから落選し物議を醸すことになった。   その中村の代表キャリアを再生したのは 他でもないジーコだった。
しかし 中村が強いあこがれを抱いたのは もう一つの南米のサッカー大国 アルゼンチンのディエゴマラドーナだった。

「ジーコには内緒だけど 一番好きだったのはマラドーナだった(笑)」と茶目っ気のある笑顔を浮かべる。    「テレビで初めて見た大会は86年W杯。   そこで出会ったのがマラドーナです。  大会に出ていたストラカン監督のことも覚えていますよ。
ブラジルのサッカーが好きで、 ファルカンなどブラジルの中盤の選手を凄いなと思ったけど それでもマラドーナは格別だった。
イングランド戦の「神の手」を使わなかったほうのゴールや ベルギー戦のゴールにも感動したし サッカー選手になりたいと強く思った瞬間でした。
ジーコは日本人のサッカーに対する姿勢を根本的に変えてくれた人で 日本サッカー界にとって偉大な人物なんです。

中村はそのキャリアを海外に移す時 ブラジルやスペインでもプレーしてみたいと語ったことがある。   だが セルティックファンにとっての朗報は そのキャリア構想を再検討しているという事だ。
現在の姿勢は 今シーズン一杯で 満了を迎えるが 1年間の延長オプションが織り込まれており 中村が来シーズン以降もグラスゴーでプレーする可能性はある。
「確かにそれらのリーグでプレーしたいと考えたこともありましたが 状況的に難しい。   もしまだ20代前半 もしくは20代半ばなら これから他の国でプレーする事も可能でしょう。    でも29歳という今の年齢を考えると そういった移籍は難しいと思う。
どちらにせよ どうしても他の国でプレーしたいってわけでもないですから。」

「周囲のみんなと同様、セルティックに入ることになった時は 自分でも驚きました。     チャンピオンズリーグでのプレーは魅力的に感じたけど それに負けず劣らず ストラカン監督の方針に惹かれました。        監督は前向きな考えを持っている。       イタリアの時とは要求されるプレーが全く違うんです。   
イタリアは守備に重きを置く。  特にレッジーナのような比較的小さなクラブでは その傾向は強かった。
個人的にストラカン流は好きです。     セルティックはビッグクラブだし ここのファンは僕が知る中で一番。     だからいいプレーを披露し続けて サポーターに恩返ししなくては」

家族と一緒にグラスゴーで暮らすようになってから 二人目の子宝に恵まれたりと 私生活の面でも充実している。
05年夏に加入した頃 家族は日本に残り 連絡手段は国際電話となっていた。       自分の子供が成長していく姿は 携帯のムービーメールで見届けていた。
「息子は2歳半になり(現在は3歳になっています)グラスゴーで保育園に通っています。  僕より英語が上手いんですよ(笑)」

英語は中村にとっての最優先事項ではない。 「選手と会話したり交流を深める上では理想的だけど たいした問題だとも思わないですね。
イタリアでも同じ状況だったけど レッジョカラブリアとは違い グラスゴーには少なくとも 美味しい日本食料理屋がありますから。
イタリアでは家庭教師をつけてイタリア語を学んでいたけど ここでは独学です。    どちらにせよ最も重要なことはピッチ上での意思の疎通。    サッカーにはサッカー語があるから問題ないですよ。」
チャンピオンズ 001.jpg
表紙はメッシで定価は580円。 俊輔記事は バルサ戦の展望を含めると全5ページ。  この他 デコ ロビーニョ セードルフ、また元セルティックのラーションのインタビューも掲載されています。